いざは今日を生きている

考え、考えすぎないことを大切に生きる、ADHD元ニートの視点。ありのままの黒歴史を積み重ねていますが、いつかそれ以外も積み重ねられるように。

引きニートやってたゲーマーがWii Fitですって。【1日目】

どうも、ゲーマーです。

 

 

普段ゲームの記事全然書きませんが、ゲーマーなので当然のように運動不足です。

そこで始めました、これ!!

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Wii Fit

懐かし〜

 

 

リングフィットを持ってない僕からすれば、こいつは神アイテムだ!!

 

しかし、神アイテムだろうが僕は元ニートの糞野郎なので、継続がとにかく苦手です。(このブログのサボり具合が何よりの証拠)

 

そこで、Wii Fitもブログも毎日続ける為に、今日からここに書き残そうと思います。

ついにこのブログも、ただの個人の日記として踏ん切りが付いてきた…。

 

 

 

起動するのは小学生以来だったかな?

過去のデータを見て驚きました。

 

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俺って小さかったんだなぁ…。

 

 

 

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てかこのMiiの白い顔なんやねん。マジしっろ。

比較がないから白さがわかりにくいので、次回は比較の画像用意しますね。

 

 

 

 

 

肝心な内容なのですが、今回はブログに残そうと思ってなかったのでほぼ写真を撮ってません。()

次回から写真撮りますね…。

 

 

一応書き残すと、バランス感覚が壊滅しているので、バランスゲーム系を計30分。

他はヨガと有酸素運動を15分ずつくらいやったのかな。

 

 

とりあえず1時間遊びましたが、めちゃくちゃ疲れるけど楽しかったです。

これなら運動続けられそうだし、姿勢も良くなりそうだし最高!!

 

 

 

皆さんも、Wii Fitでお家フィットネス、いかがでしょうか。

以上、猫背ゲーマーのいざでした。

体力は時間をくれるのかもしれない。

大した話は出来ないが、可能性を感じたことを少しだけ。

 

 

 

事実、僕らは歳を重ねる程時間の体感速度が早まる。

だけどそれは、色々なことがパターン化されて1つの出来事として捉えてしまうから、という説があるらしい。

 

 

わかりにくいからもうちょっと言うと、毎日同じこと(或いは似たこと)をしているうちにそれらはパターン化されて、大まかな流れが決まり、細かいところには目が行かなくなっていく。

だから、本当は色々な複数のことをやっているのだけど、それらをまとまった1つの出来事と認識してしまう、ということらしい。

 

 

人は、色々なことが起きれば沢山の経験をしたと感じ、長い時間(密度が濃い時間)を過ごしたと認識できるそうだ。

 

 

 

正直納得できないところもあるが、これを軸に考えれば、色々なことをやれば時間はゆっくりに感じる筈なんだ。

 

 

そこで、子供の頃を思い出して欲しい。

あの頃にあって今の僕らにない物。

時間だけではない、体力もではないか?

体力があれば、もっと子供の頃のように色々なことを出来る。

 

 

週末の過ごし方がパターン化されて、あっという間に過ぎている方、そもそも家から出られないから家で過ごしてるけどパターン化されて悲しくなっている方。

そういった方は少なくないだろう。

この時間はチャンスだ。

パターンから抜け出し、普段やらない沢山のことをする為に体力をつけよう。

 

 

リングフィットアドベンチャーが買えない。

そもそもswitchが買えない。(というか出費は嫌だ)

だったら簡単な筋トレからでもいい。

きっとその先に、新しいものが見えてくるのかもしれない。

 

 

ペンギンハイウェイや恋する小惑星などのアニメを観て、好奇心の大切さを思い出したので、ついでにふと思ったことを書いてみた。

僕はこれからwii fitをやるが、皆さんにもこの時期を有効活用して明るく元気になって欲しい。

沢山の時間を手に入れ、やったことのないことをして、幸せになろう。

心を整理してみた。-01- 今後もしてみよう。

どうも皆さん、半ニートっていうよくわからん肩書きが似合う奴、いざです。

  

僕は今日から清算(心の整理)をしていくつもりです。

なので、今回の記事では

  • 気持ちの整理
  • このブログの方向性

以上の二つに焦点を絞ろうと思います。

 

僕は社会不適合マンなので、正直悪いことを考えたら行動してしまいそうで自分が怖いです。(ヤバすぎ)ここでも余計なことを言いそう。

それを抑制できるように、気持ちを整理することで心の調整(吐露)をしようと思います。(小泉進次郎構文ではない)

 

僕の中の時計が必ずしも世間と噛み合っているとも限らないので、少し遅れた結果エイプリルフール(新年度)を迎える形になったことは先に伝えておこうと思います。

流行には、乗れるようになってから乗ろうかな。

 

↓僕をよく知らないって方は、これを読んで僕のクズっぷりを見てくださいね!

freeizaiza.hatenablog.com

 

 

 

不満

思ったことを外に出すのが下手で、ずっと言葉に出来ていなかった不満が結構ある。

何に対する不満かと聞かれたら、簡潔に答えると大体全て。

詳細に話せば流石に語弊があるけれど、ひとまずはこの表現が正しいと思います。

 

 

僕が引きこもりをしていた頃、そりゃもう自身を含めた万物が憎くて仕方なく大嫌いだった時期があった。

全ての不完全さを恨んだ。(完璧主義乙)

不平不満が止まらなかった。

 

 

じゃあ、僕は引きこもりの頃の状況に戻ってしまったのかと言えば少し違って、本当に万物が嫌いって訳では無くなったし、今の僕はあくまで冷静です。

冷静と言っても、自分がこういうマイナスなことを考えがちな不安定な時期に入っている。という自覚が出来る程度だけど。

そして、マイナス思考になる原因もわかるようになってきました。(これは今回のような整理のお陰)

 

 

大体皆そうだと思うけど、特に今なんて暗いニュースばかりが流れて気持ちが沈みがち。

それがマイナス思考を手助けした結果、不満たらたら。 

だから、普段なら思っても口にしない(或いは言ってはいけない)こと等も、今は平気で吐露するかもしれません。

しかし、今までのクズライフのお陰で嘘は懲りてて嫌だし、思ったことはしっかり書きたい反面、そこまですると誰かを傷つけることに繋がったり色々問題なので、極力表現を抑えるよう努めますね...。

 

 

ー不満を持った経緯ー

僕はニートになって以来、自分を見つめ直す時間まみれでした。

毎日自分と向き合い続ける(しかも当時の自分は視野が狭くなってしまい、頭の中はめちゃくちゃ)という、頭がおかしくなりそうな修行擬きを続けると、”おとぎ話を信じて、現実は見えていない人が実は結構多い”と感じるようになりました。

それは、自分がそうだったからです。

 

これはどういうものかと言うと、所謂”理想と現実”というやつです。

僕は、そのギャップの大きさに耐えきれずにニートになりました。

 

 

ー不満ー

解決が難しい内容ばかりですが、おとぎ話の話からしましょう。

僕の言うおとぎ話とは、ピンポイントに説明すると、無情の愛です。

飲食店の水を例に話しましょう。

 

僕らの住む日本では、飲食店に入るとまず水が”無料で”しかも”店員が運んで”きます。(セルフサービスのところでも水が無料であることが殆ど、一般的ですね)

これは、今や人々にとって当たり前となってしまい、cowcowのネタの餌食にされかねません。(古いw)

修行擬きでひねくれてしまった僕は、これを偽善と感じます。

なぜなら、この無情の愛(或いは偽善、間違った優しさ)は、皺寄せによって誰かの負担になりますよね。

今回の例で言えば、水は店の経済への負担、店員が運ぶことは加えて店員そのものへの負担もあります。(流石にこの例は過剰と言うか考えすぎですが、あくまで分かりやすさ重視です)

優しさが負担になることを避けるのは簡単ではないかもしれませんが、この愛から生まれる優しさを負担が越えたら、この愛に意味はあるのでしょうか。

優しさ=善の式を成り立たせるには、負担とのバランスが重要なのだと僕は考えます。

 

いかに無情の愛の実現が困難で、それを求めるのが愚かなのかが理解いただけるでしょうか。

 

僕はこの、存在を期待してはいけない物を”おとぎ話”と呼んでいます。

この存在を期待すると、客はその存在に甘えてより質の高い要求をするようになり、店は苦しむ一方だからです。

それを一般に求めるのは違うし、はっきり言ってこんなのはディストピアを創る構造ではないでしょうか。

僕らは夢を創る存在でなく、ただの凡人です。

何でもディ⚪ニー化しないでほしい。(デ⭕ズニーが悪いとかではなく、経営理念の異なる存在に対して、甚だしい勘違いをしないでほしいという話。勘違いした「質の良いサービスを」と言い出す経営側に問題があるケースも有り。企業の生存戦略とは、経済で人が狂う皮肉で醜いものです...。)

現実で、このようなことが既にどんどん起こっていると僕は感じ、その負担がストレスや不満へと繋がっています。(自分は飲食店に勤めている訳ではありません)

 

 

 

次に、現実について。

今回の新型コロナの話が分かりやすいと思うので、それほど話すこともないと思います。

現実に起きていることに対して鈍感ということですね。

前回の記事なんて、まさにそれに当たると指摘されても仕方ないくらい語弊まみれです。↓ 

freeizaiza.hatenablog.com

 

対策は当たり前だけど、力が入りすぎて視野が狭くなってない?という話だったのですが、まるで対策を疎かにしても良いかのような糞発言が出てますね...。

反省。

今は僕なんかよりずっと上手な方が、家にいるだけで世界は救えるんやで!という前向きなメッセージを発信していますね。

参考にさせていただきます!

 

これはコロナ以外にも多く当てはまるので、想像しやすいと思います。

例えば、僕は軽度のコミュニケーション障害なので、コミュ障というスラング化、(自虐)ネタ化は頂けないですね。

信じられていない点で、これもおとぎ話化していると言えますね。

 

 

正直以上のような所に意識がいくのはとても疲れます。

そのせいで、なんでも悪いところに目が行きがちで、不満を持つようになります。

何故自分がこんな奴らより社会的に劣った扱いなのかと不満になることもあったし、一々意識してしまうこと自体に疲れる。

意識することは疲れるが辞めるのは簡単ではありません。

 

 

 

対策

まずいですよこれは!

ということで、落ち着いて対策を考えます。

 

このような考えになってしまう根元には、完璧主義があると思います。

だから、有効なのは”期待しないこと”なのかな...。

世間はそう簡単に、しかも都合よくなんて変わらない。

ただ、周りにもだけど、自分にも期待し過ぎない。

簡単に答えが出せるものではないので、とりあえず期待しないはやっていこうと思います。

ただ、諦めというのは解決の先送りにしかならないとも思うので、別の手も必要だと思います。

 

そこで、β版を作ってる気になると良いよと聞いたこともあるので、完成させるつもりを捨てようと思います。

完全じゃないから着手が遅れて損をする、というケースが多すぎるので。

一個ずつやる。

それでいいのかな。

 

生活習慣や疲労でまたマイナス思考になる日々は続くと思います。

けれどまだまだ道の途中。

折れない程度にトライ&エラーを繰り返します。

 

 

 

このブログについて

ここまで整理すると、落ち着いてこのブログの見通しが立ちそうなので、今後の方針を決めようと思います。

 

正直、今回のような整理はかなり心が落ち着きました。

自分の為に始めたブログ。

日記というか、自分語り乙な感じがやっぱり一番いいのかな。

前にも同じようなことを言ったことがありましたが、正直迷いがありました。

他人の為に書いていない糞記事は読まれないだとか、色々な情報を見てきたからです。

ただ、今回の整理と、この記事を書くまでの期間の空き具合から、自分の手が止まるのは完璧主義に邪魔されているからというのが確信できたので、完全に気持ちが固まりました。

 

迷いを捨てた僕が有言実行マンになった時、さっきまでの不満に変化はあるだろうか...。

 

 

 

 

to be continued...

僕らはもっと適当に生きていい。

スマホを見ても、テレビを見ても、パソコンを見ても。

外に出たって今はコロナコロナ。

 

 

皆さん、疲れませんか?

 

僕はこういうくどいのはすっごく疲れます。

 

 

しかも実際、(仕方ないことですが)どうしようとあたふたするばかりで、具体的に適切な措置が取れる訳でもない。

 

 

…これって無駄だと思いませんか?

 

 

情報を得る事がいかに大切かは皆よくわかってるんだけど、情報に飲み込まれないことの大切さは全然わかっていないように思えます。

 

 

自分が出来ること、出来ないこと。

やるべきこと、やらなくていいこと。

 

その線引きをするだけで、もっと生きるのが楽になると思う。

線引きをして、無駄な情報は入れない。

余計なことは考えない。

どうにもできないことには、どうもしない。

流れに身を任せるだけも必要だろう。

僕の考えはおかしいだろうか。

 

 

 

最近同じようなことを聞きすぎて、自分も同じことばかり考えがちになります。

目先のウイルスへの対策は当然大切ですが、今後の自分の生き方にも繋がる情報とのつきあい方も、今一度見つめ直す必要があると感じました。

ギリギリでいつも生きていたい…だと…!?冗談じゃねぇ。

あの、なんかごめんなさい。

別に今回のタイトル、決してあの曲や彼らへのディスりでは無いんです。

 

 

何のことかわからないって人にも、わからない話してごめんなさい。

 

著:謝罪の王様阿部サダヲではない。)

 

 

本題。

僕は今余裕がない。

きっと僕だけじゃないだろう。

過剰、或いは不要な情報でストレスを感じている人は多い筈だ。

世間が騒ぐ沢山のニュースが、今日も僕らを苦しめて、気にしなくてもいい余計なことまで考えて、悩んで。

そうやって、段々と心の余裕が無くなっていく。

本当に考えなきゃいけないことに、頭がついていけなくなる。

 

 

見たくないものを見ないことの重要さを、そろそろ良く知っておいた方がいいのだろう。

 

 

僕は他にも"経済的な意味で"とか、とにかく色々と余裕がないんだけど、それらのせいでとにかく疲れてしまった。

 

今までなんとなくで生きてきたせいで、こうして色々な問題が起こった途端、ギリギリで生きる羽目になっている。

不測の事態に弱いのは、皆一緒かもしれないけど。

ただ、皆一緒で片付けて良いとも思っていなくて…。

 

 

ああ、もう色々面倒くせぇ。

自責思考とは、大きな成長が期待できる反面、こういう心が弱っているなどの事態には、とても厄介なものだと痛感している。

余裕が欲しい…。

 

 

色んな柵から解き放たれたい気分なので、近々リフレッシュの旅にでも出て、このブログを更新しようと思う。

 

以上、近況の病みと次回更新の目標でした。

次回が明るい内容になることを願い、そろそろ床に就きます。おやすみなさい。

コメダ×ゴディバのショコラノワールは、無くなる前に絶対に食べて欲しい"美味しいう○ち"だった…!!(怒られろ)

どうも皆さん、今日も沢山出しました、いざです。()

 

 

 

最低な話はこの辺にして、皆さんは昨日から数量限定で発売されているコメダ珈琲の最強スイーツ『ショコラノワール』を、もう食べただろうか。

 

 

まだ食べていない甘党は、無くなる前に絶対に食べて欲しい。

実は、僕は昨日既に食べてきたのだが、昨日の時点で既に「ミニサイズなら御用意できます。」という店員の台詞を聞いてしまった…。

 

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↑ミニサイズ。1人なのでちょうど良かったが、正直美味すぎて通常サイズも1人でいけた自信がある。あと写真が下手だ。次は高さのある物は横から撮ろうと思う。

 

これは大変だ。

下手したら無いところはもう無いのでは…。

一応ツイッターでは、シロノワールの生地がないだとか、本日分が無いだとか、そういう意味での売り切れに遭遇している人は多数見かけた。

 

だが、とにかく油断しないで、明日は皆コメダへ走って欲しい。

あれは早い者勝ちなのだ。

 

 

どのくらい美味しいとか、そんな事は僕が今更伝えるまでもないだろう。

甘党は皆もうとっくに美味い美味い叫んでいて、僕の糞雑魚食レポがそれらの声に敵うことはまず無い。

あえて軽く説明するなら、「旅行などでやたら牧場に行きたがる程度にはソフトクリーム好きの僕が、絶対の美味しさを保証する。」くらいに纏めておいた方がいいだろう。

 

それに、如何に見た目がう○ちっぽいかというのも、それなりに周知されていることのようなので、今更あまり主張しないでおこう。

いや、そこはもう手遅れか。

 

 

 

で、そうそう。

じゃあ結局何を話したかったのかと言えば、う○ちは最強の共通言語って話だ。

 

職場で新しい人と出会ってう○ちの話で盛り上がった時は、会話は弾むわ何となく童心に帰れたわで幸せだった。

そう、排泄は誰だってする、家族よりも近い存在であるが故、最強の共通言語なのだ。

言わば、う○ちとは『学ばない英語』である。

 

 

 

『このタイトルでこれは酷い。』入賞。

自分を強くする最強の成長方を見つけた(かもしれない)

最近思ったことを、メモ代わりにここに書き記しておこうと思う。

 

 

 

 

 

snsの時代になって、被害者意識を持つようになった人は多いだろう。

 

で、そのことが良くないから、被害者意識なんて捨てましょうね、なんて話もある。

 

 

 

おい、何綺麗事言ってやがる。

 

 

 

被害者意識を持つことは、最早我々sns時代の人間にとって癖になっている。

それをやめろなどと、言うことは易いが成すことは厳しい。

 

 

そこで思った。

 

 

やめるのは難しい。

なら、利用するまでだ。

 

 

被害者意識とは、僕らを成長させてくれる過程、成長材料に過ぎないのだ。

 

 

どうするかと言うと、自分の中に被害者意識を持つのは仕方ない。

しかし、被害者意識を持たないようにするのは困難でも、被害者意識が生まれた後に被害者意識そのものを意識することは、決して難しくない。

 

 

 

 

意識という言葉が溢れて読みにくいので要約すると、被害者意識を持ったことに後から気付くことは出来る。そのことを後悔できる。ということだ。

 

 

後悔できることという物は、大抵自分の糧にできる物だ。

成功の元に変えるため、その後悔や失敗を糧にすればいい。

 

 

つまり、被害者意識が自分の中に生まれたら一度冷静になり、自分を疑うのだ。

本当に自分は悪くないのか、それだけを考える。

 

 

自分が悪かったら改善すればいいだけだし、悪くなければ、その意識は被害妄想ではなくなり貴方は晴れて被害者となる。

改善は簡単な事ではないが、その為の努力が出来れば必ず自分のためになってくれるはずなのだ。

 

 

ほら、良いことしかなくね?

 

 

 

僕はこれを始める事で、ちゃんと自分が悪かったら謝れる大人になろうと思う。

プライドが高い大人にはならない。

だって、プライドが高い大人は大人というより寧ろ、見ていて幼稚で恥ずかしいのだから。

 

 

うーん…

真面目か。