いざは今日を生きている

考え、考えすぎないことを大切に生きる、ADHD元ニートの視点。ありのままの黒歴史を積み重ねていますが、いつかそれ以外も積み重ねられるように。

死なないためにゲームをやっていた僕に、"引きこもりの時期"がくれた最高の財産。

今週のお題「人生最大の危機」

 

どうも皆さん、歯を削る羽目になりました、いざです。

正直削るのは少しだけショックです…。

歯は大切にしましょう。(健康志向ブログ)

 

 

最近よくブログを更新するようになったせいか、ブログのモチベーションがかなり高いので、この良い傾向を活かそうと今回はやる気マシマシでお届けします。

 ついでにお題にもチャレンジしてみます。

 

 

 

自己紹介2.0

今回の内容は、いずれ書こうと考えていたものでして、自己紹介2.0とでも呼ぼうかなといった感じです。

一度にまとめ切れるかわからないので、まとまらなかった場合、今回の記事は恐らく自己紹介2.0-過去編-になるでしょう。

後日第2弾の記事が出たらそう思ってください。

 

その前に、まず僕を知らない方はざっくりですがこちらをどうぞ。

 

freeizaiza.hatenablog.com若干の黒歴史になりつつありますが、細かいことは気にせず...。

 

ちなみに現在僕は大学を辞め、継続して働くということに慣れるため、そして単純にお金のためアルバイトをしています。

やりたいこととして、独立のため大学や専門学校などではなかなかできない勉強があるのですが、お金がないとそれも叶わないので。

今までの日頃の行いにより、身内からお金を借りるという選択肢は取れません...。

とまあ、だらだらとした話はここまで。

今まで話していなかった具体的な話、如何にして引きこもりを乗り越えたかなどを掘り下げていきます。

 

 

 

大学1年目

僕が大学に行かなくなったのは入学して1年目の5月。

3月から始めたアルバイトでは、初日の人間より仕事が出来ていないと叱られ、大学の課題は悪い習慣で提出日まで手つかず、人間関係もあまり上手くいっていませんでした。

 

 

中学まで割と優秀な学校に通っていたのですが、嫌いだった勉強はロクにやらなかったので、次第に授業や周りに置いて行かれました。

高校の頃、知らない学校の人間に、すれ違いざまに見てくれを悪く言われていた時期がありました。

自分の家の前が彼らの通学路で、避けて通れませんでした。

それまでの行いが悪いから、親に相談しても信じてもらえず、終いには嘘つきのレッテルを貼られました。

 

そうやって、気付かないうちに過去の色々な出来事が積み重なったところに、大学入学後の自業自得な行いなどが追い打ちをかけ、すっかり自信を無くした僕は、いともたやすく5月病に負けたのでした。

 

 

始めの半年は親に嘘をついた。

誤魔化して、学校に行っているフリをした。

バイトはどう誤魔化したか忘れたけど、辞めたことは親に言った。

すると親は、理系は大変だからアルバイトが出来なくても仕方がないと言い、お小遣いをくれた。

毎月貰ったお小遣いも、誤魔化す為に遊びに行くお金として使った。

一人でどこかに行くのは怖いから、人と接することが殆どないネットカフェに通った。

それが一番心が落ち着いた。

 

 

僕の悪い部分が沢山出ていました。

どんどん自分で自分を追い詰めて、ずっと負の連鎖の中にいました。

そうして次第に

 

僕は駄目な奴だ。

僕は駄目な奴だ。

僕は駄目な奴だ。

死にたい。

死にたい。

死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。

死にたい。

 

こんな風に考えるようになっていきました。

 

 

かつてやりたいことに正直なだけだった僕は、いつしかどんどん捻くれていきました。

そして、一度だけ勇気を振り絞って登校した日。

昼食の時間に、ある事実に気付きました。

 

 

友人のグループに知らない人が増えている。

会話についていけない。

話しかけられたとき、僕は愛想笑いをしようとした。

したつもりだった。

今思えば、すごく不自然で引きつっていた笑顔をしただろう。

初めての経験だった。

うまく笑うことも、出来ないなんて。

 

僕は変わってしまった。

変わり果ててしまった。

ああ、僕はもう前の自分には一生戻れない。

 

ちくしょう。

なんだよ、どうしてこんなことになっちまったんだ。

 

 

その日から僕は、人生諦めムードに突入しました。

 

 

生きることは辛いことだ。

人が怖い。

外が怖い。

恐怖と戦ってまで、大きなリスクを負ってまで、外に出る理由なんてどこにもない。

 

 

成績表で不登校も発覚し、ある程度事情を話した後、僕は休学という形で完全に社会との接点を切りました。

 

 

親は悲しんだ。

ずっと眠れない日々を過ごしていたそうだ。

僕はもう、よくわからなかった。

医者通いもしたが、しんどくなってすぐやめた。

次第に色んなことがどうでもよくなって、ゲームやアニメにひたすら逃げた。

ネットの世界ですら人と関わりたくなかった僕は、オンラインゲームでさえ友人を作ろうとはしなかった。

 

 

この時の僕を支えていたものは、ゲームとアニメだけでした。

死にたい、だけど実行する勇気も無い。といった状況の中、ゲームやアニメの時間はそれらを忘れられました。

今思えば、死なないためにゲームしてアニメを観ていました。

そういったことを全てやめ、何もしなくなったらとにかく死にたくなるから、いつ死んでもおかしくありませんでした。

自分はこれをやめたら死ぬんだ。と感じました。

だからずっとゲームしていたし、アニメも観ていました。

正直、それらが好きなことなのかどうかも、次第にわからなくなりました。

 

けど、本当に大切なものがそれらの楽しさを思い出させてくれました。

 

 

 

高校の友人達

大学に進学しても、高校で出会った2組(ふたくみ)の友人達とは遊んでいました。

というか、今でも遊ぶ機会がありますし、毎日のようにラインでくだらないやり取りだったりをします。

彼らは知らないけど、僕の命を繋ぎとめてくれた、本当に大切な人達です。

彼らが僕を遊びに誘ってくれることは、本当に心の支えになりました。

僕なんかと遊んでくれる人がいる。

僕と過ごすことを楽しいと思ってくれる人がいる。

それが、当時の僕の唯一とも言える心からの救いでした。

 

 

彼らとは何度映画を見たかわからない。

大して変わったことは全然しない。

いつも同じようなことをするし、いつも同じ店で飯を食う。

「またここかよwwwwww」

それもいつしか

「やっぱここだよな」

に変わった。

場所が変わっても、チェーン店に入るから結局同じ店。

 

僕のいつもは真っ暗で、何も変化がない部屋でずっと一人。

けどこいつらといるいつもは、同じようでなぜか毎回新鮮で。

同じ”変わらないもの”なんだけど、ずっと暖かいものだった。

ああ、こういうのっていいな。と思えた。

だから、彼らと一緒にいると楽しかったし、彼らといる時だけは恐怖を忘れられた。

 楽しいという感覚を感じられた。

 外が怖くなかった。

 

 

彼らには感謝しかありません。

彼らのおかげで、本当に全く外に出ることのない生活に堕ちる、ということを回避できたと思っています。

あの時、友人が映画に誘ってくれて本当に良かったと、心から思っています。

いつか、ちゃんとお礼を言わないと。

 

僕は心の拠り所のありがたさを痛感したと同時に、人は何かに縋っていないと生きていけないんだと知りました。

そう考えると、趣味なんかも一種の宗教ですね()

ちなみに僕はゲーム教ですかね。依存症言うな。

 

 

 

知られてしまう…

彼らと遊ぶことが心の安らぎになっていた中、ある日僕はその遊びをすっぽかしてしまいます。

 

その日は待ち合わせの時間に遅れてしまいました。

ちょうどその頃、どこかに通う習慣がなくなりつつあった僕はよく待ち合わせに遅れていました。

そして、いつしかその事に負い目を感じつつも遅れてしまう自分に嫌気がさし、同時にもうこれ以上友人に迷惑をかけられないと罪悪感を感じるようになっていました。

そんな時に遅刻をしてしまった僕は、とうとうパニックになってしまいます。

どんな顔をして会えばいいかわからなくなり、怖くなった僕は待ち合わせた駅に着くとトイレから出られなくなってしまいました。

連絡ばかりが届き、耐えられなくなった僕は「もうこれ以上迷惑をかけたくない」という旨だけを連絡し、とうとう一人先に帰ってしまったのです。

 

 

終わった。

一度に2人もの友人を失った。

どうしよう...。

どうしよう...。

 

 

その日の夜は、罪悪感と自分の周りから人がいなくなる恐怖で眠れませんでした。

 

そして後日、僕は初めて家族以外の人に自分が学校に行っていないことを告白しました。

皆当たり前に通っている学校に行っていないことを知られてしまう...。

恐怖が僕を支配しました。

最悪な形で友人に知られることになったかと思われましたが、それでも友人達は僕を突き放すのではなく、真剣に僕の話を聞いてくれました。

 

涙が止まりませんでした。

僕はずっと、勝手に自分の考えを自己完結して、周りが見えてませんでした。

それから僕は、自分の意見はちゃんと伝えないとダメだと気がつきました。

人の意見は聞かないとダメだと気がつきました。

こうして、彼らを裏切るような真似はもうしないと心に誓いました。

 

 

  

再チャレンジ

彼らが僕へ勇気と経験をくれ、いつしか(出来るなら学校に行きたい!)と思えるようになります。

休学を割と長く取ったので、1年生への再チャレンジを始めるまでは結構かかりました。

そもそも1年時は後期からの復帰は現実的ではなく、結局4月からの復学ということになったので、なかなか時間が空いてしまったと記憶しています。

 

その4月までの間、実は友人のうちの1人も休学を考える程だった時期があったという話をきき、その際に色々な人との接し方や自分を見つめ直すことの大切さ等がわかりました。

 

こうした内面の変化もあり、再チャレンジの人間関係はとても良好でした。

夏には、その年に知り合った大学の友人達と運転免許合宿にも行けました。

 

しかし、結局一日の長い時間を過ごす場所に通うことに最後までなれることができなかった僕は、授業に出ることがほとんどできずに単位を落としてしまいます。

広い教室で沢山の学生の中に混ざる、ということへの抵抗を拭いきれていなかったこともあり、とにかく悔しさと悲しさが入り乱れました。

 

 

 

失敗じゃない

20歳を過ぎ、学校にも行っていなかったので、当然親はお小遣いなんてくれませんでした。

初めのうちは、何もしなければ親のいない昼のご飯しかお金はかからないので、1日2食で過ごしていましたが、遊びに行くお金もないのは困ったので、段々と色々なことをするようになりました。

 

コンビニのアルバイトは3ヶ月も続きませんでした。

店長には特に迷惑をかけてしまい、本当に恩を仇で返してしまったと思います。

 

それからはお金に困った時だけ日雇いをしていました。

しかしこれは、継続できない僕の性格に拍車をかけてしまいました。

 

こうなってしまってはまずいと、1月半程の郵便局の短期アルバイトもやりました。

決められた短い期間とはいえ、達成できた喜びと自信は大きかったです。

 

こうして、上手くいったりいかなかったりを繰り返すうちに、僕は「失敗は成功のもと」という言葉を思い出しました。

失敗は、失敗で終わりじゃないんだ。

次に活かせたらその失敗も報われて、成功になる...。

 

 

 

まだ、続いている。

僕はいつか、迷惑をかけた沢山の人に恩返しをしなくてはいけません。

その為に、ここまでに得た”財産”をちゃんと活用していこうと思います。

それは、何かを経験する度に得た教訓そのものではなく、経験から教訓を得る力です。

ずっと人と違う、当たり前じゃない日々を過ごしてきた僕は、当たり前を感じるとそれを大切にするようにしてきました。

全てのものは基礎とその応用からできているはずなので。

当たり前(基礎)を大切にする心こそが、経験から教訓を得る力です。

物事をフラットに見ることができないと、きっと最大限発揮できないものです。

でもお陰で、柔軟に考えらるようになりました。

これがあれば、きっともっと乗り越えられるようになる。

これからはこれを使って、僕はどんどん強くなる。

 

僕は完全な引きこもりじゃなかったけれど、これはきっと他の誰かの役にも立つはずです。

大切なのは話せる人と、学ぶ心だと僕は考えます。

 

 

自分のことをちゃんと話すようになった僕は、現在は親との関係は以前よりずっといいと思います。

自分のためもあるけど、恩返しが出来るようになるために、これからも僕は挑戦を続けます。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

また次回お会いしましょう。