いざは今日を生きている

考え、考えすぎないことを大切に生きる、ADHD元ニートの視点。ありのままの黒歴史を積み重ねていますが、いつかそれ以外も積み重ねられるように。

心を整理してみた。-01- 今後もしてみよう。

どうも皆さん、半ニートっていうよくわからん肩書きが似合う奴、いざです。

  

僕は今日から清算(心の整理)をしていくつもりです。

なので、今回の記事では

  • 気持ちの整理
  • このブログの方向性

以上の二つに焦点を絞ろうと思います。

 

僕は社会不適合マンなので、正直悪いことを考えたら行動してしまいそうで自分が怖いです。(ヤバすぎ)ここでも余計なことを言いそう。

それを抑制できるように、気持ちを整理することで心の調整(吐露)をしようと思います。(小泉進次郎構文ではない)

 

僕の中の時計が必ずしも世間と噛み合っているとも限らないので、少し遅れた結果エイプリルフール(新年度)を迎える形になったことは先に伝えておこうと思います。

流行には、乗れるようになってから乗ろうかな。

 

↓僕をよく知らないって方は、これを読んで僕のクズっぷりを見てくださいね!

freeizaiza.hatenablog.com

 

 

 

不満

思ったことを外に出すのが下手で、ずっと言葉に出来ていなかった不満が結構ある。

何に対する不満かと聞かれたら、簡潔に答えると大体全て。

詳細に話せば流石に語弊があるけれど、ひとまずはこの表現が正しいと思います。

 

 

僕が引きこもりをしていた頃、そりゃもう自身を含めた万物が憎くて仕方なく大嫌いだった時期があった。

全ての不完全さを恨んだ。(完璧主義乙)

不平不満が止まらなかった。

 

 

じゃあ、僕は引きこもりの頃の状況に戻ってしまったのかと言えば少し違って、本当に万物が嫌いって訳では無くなったし、今の僕はあくまで冷静です。

冷静と言っても、自分がこういうマイナスなことを考えがちな不安定な時期に入っている。という自覚が出来る程度だけど。

そして、マイナス思考になる原因もわかるようになってきました。(これは今回のような整理のお陰)

 

 

大体皆そうだと思うけど、特に今なんて暗いニュースばかりが流れて気持ちが沈みがち。

それがマイナス思考を手助けした結果、不満たらたら。 

だから、普段なら思っても口にしない(或いは言ってはいけない)こと等も、今は平気で吐露するかもしれません。

しかし、今までのクズライフのお陰で嘘は懲りてて嫌だし、思ったことはしっかり書きたい反面、そこまですると誰かを傷つけることに繋がったり色々問題なので、極力表現を抑えるよう努めますね...。

 

 

ー不満を持った経緯ー

僕はニートになって以来、自分を見つめ直す時間まみれでした。

毎日自分と向き合い続ける(しかも当時の自分は視野が狭くなってしまい、頭の中はめちゃくちゃ)という、頭がおかしくなりそうな修行擬きを続けると、”おとぎ話を信じて、現実は見えていない人が実は結構多い”と感じるようになりました。

それは、自分がそうだったからです。

 

これはどういうものかと言うと、所謂”理想と現実”というやつです。

僕は、そのギャップの大きさに耐えきれずにニートになりました。

 

 

ー不満ー

解決が難しい内容ばかりですが、おとぎ話の話からしましょう。

僕の言うおとぎ話とは、ピンポイントに説明すると、無情の愛です。

飲食店の水を例に話しましょう。

 

僕らの住む日本では、飲食店に入るとまず水が”無料で”しかも”店員が運んで”きます。(セルフサービスのところでも水が無料であることが殆ど、一般的ですね)

これは、今や人々にとって当たり前となってしまい、cowcowのネタの餌食にされかねません。(古いw)

修行擬きでひねくれてしまった僕は、これを偽善と感じます。

なぜなら、この無情の愛(或いは偽善、間違った優しさ)は、皺寄せによって誰かの負担になりますよね。

今回の例で言えば、水は店の経済への負担、店員が運ぶことは加えて店員そのものへの負担もあります。(流石にこの例は過剰と言うか考えすぎですが、あくまで分かりやすさ重視です)

優しさが負担になることを避けるのは簡単ではないかもしれませんが、この愛から生まれる優しさを負担が越えたら、この愛に意味はあるのでしょうか。

優しさ=善の式を成り立たせるには、負担とのバランスが重要なのだと僕は考えます。

 

いかに無情の愛の実現が困難で、それを求めるのが愚かなのかが理解いただけるでしょうか。

 

僕はこの、存在を期待してはいけない物を”おとぎ話”と呼んでいます。

この存在を期待すると、客はその存在に甘えてより質の高い要求をするようになり、店は苦しむ一方だからです。

それを一般に求めるのは違うし、はっきり言ってこんなのはディストピアを創る構造ではないでしょうか。

僕らは夢を創る存在でなく、ただの凡人です。

何でもディ⚪ニー化しないでほしい。(デ⭕ズニーが悪いとかではなく、経営理念の異なる存在に対して、甚だしい勘違いをしないでほしいという話。勘違いした「質の良いサービスを」と言い出す経営側に問題があるケースも有り。企業の生存戦略とは、経済で人が狂う皮肉で醜いものです...。)

現実で、このようなことが既にどんどん起こっていると僕は感じ、その負担がストレスや不満へと繋がっています。(自分は飲食店に勤めている訳ではありません)

 

 

 

次に、現実について。

今回の新型コロナの話が分かりやすいと思うので、それほど話すこともないと思います。

現実に起きていることに対して鈍感ということですね。

前回の記事なんて、まさにそれに当たると指摘されても仕方ないくらい語弊まみれです。↓ 

freeizaiza.hatenablog.com

 

対策は当たり前だけど、力が入りすぎて視野が狭くなってない?という話だったのですが、まるで対策を疎かにしても良いかのような糞発言が出てますね...。

反省。

今は僕なんかよりずっと上手な方が、家にいるだけで世界は救えるんやで!という前向きなメッセージを発信していますね。

参考にさせていただきます!

 

これはコロナ以外にも多く当てはまるので、想像しやすいと思います。

例えば、僕は軽度のコミュニケーション障害なので、コミュ障というスラング化、(自虐)ネタ化は頂けないですね。

信じられていない点で、これもおとぎ話化していると言えますね。

 

 

正直以上のような所に意識がいくのはとても疲れます。

そのせいで、なんでも悪いところに目が行きがちで、不満を持つようになります。

何故自分がこんな奴らより社会的に劣った扱いなのかと不満になることもあったし、一々意識してしまうこと自体に疲れる。

意識することは疲れるが辞めるのは簡単ではありません。

 

 

 

対策

まずいですよこれは!

ということで、落ち着いて対策を考えます。

 

このような考えになってしまう根元には、完璧主義があると思います。

だから、有効なのは”期待しないこと”なのかな...。

世間はそう簡単に、しかも都合よくなんて変わらない。

ただ、周りにもだけど、自分にも期待し過ぎない。

簡単に答えが出せるものではないので、とりあえず期待しないはやっていこうと思います。

ただ、諦めというのは解決の先送りにしかならないとも思うので、別の手も必要だと思います。

 

そこで、β版を作ってる気になると良いよと聞いたこともあるので、完成させるつもりを捨てようと思います。

完全じゃないから着手が遅れて損をする、というケースが多すぎるので。

一個ずつやる。

それでいいのかな。

 

生活習慣や疲労でまたマイナス思考になる日々は続くと思います。

けれどまだまだ道の途中。

折れない程度にトライ&エラーを繰り返します。

 

 

 

このブログについて

ここまで整理すると、落ち着いてこのブログの見通しが立ちそうなので、今後の方針を決めようと思います。

 

正直、今回のような整理はかなり心が落ち着きました。

自分の為に始めたブログ。

日記というか、自分語り乙な感じがやっぱり一番いいのかな。

前にも同じようなことを言ったことがありましたが、正直迷いがありました。

他人の為に書いていない糞記事は読まれないだとか、色々な情報を見てきたからです。

ただ、今回の整理と、この記事を書くまでの期間の空き具合から、自分の手が止まるのは完璧主義に邪魔されているからというのが確信できたので、完全に気持ちが固まりました。

 

迷いを捨てた僕が有言実行マンになった時、さっきまでの不満に変化はあるだろうか...。

 

 

 

 

to be continued...