「ハリボテかもしれない壁」に勝手に絶望しないで生きたい。
問題の大小に関わらず、主観、自己完結による勝手な絶望、諦めをする人が身の回りに多くいる。
というか、僕がその1人だから困る。
簡単で小さな問題を例にする。
ラーメンとご飯を一緒に食べたくなったA君は、ラーメン屋に行く。
そこのメニューには、ラーメンとは別に丼ものの提供もあると記載がある。
この時点で、A君は丼もの=量が多いという自分の中の法則を勝手に当てはめて、本当はセットのようにラーメンと一緒に頼みたい丼ものを諦めてしまう。
しかし、そもそも丼ものの大きさがわからない時点で、ラーメンと一緒にご飯を食べたい気持ちを諦めるのは早過ぎるだろう。
こういった時、店員に丼ものの大きさを尋ねない人間は案外多い。
とは言っても、この程度の問題(問題として扱うには小さいが)なら、「そこまでして食べたい訳ではない」などの"面倒だからやらない"という趣旨の発言をされたら、それは本人の自由なのでそれまでだが、これが大きな問題となったら話は変わるだろう。
しかし実情として、"面倒だからやらない"という、願望より面倒を避けることを優先する行為が癖になっている人間に、問題の大小は関係ないケースが多いと感じる。
これってマズくないか?
事実、僕は基本ラーメンと丼もののセットは譲りたくないから店員に聞くタイプ(もちろんその時の気分にもよるが)だが、それでも人に相談をするのが苦手(面倒な部分もある)なせいで、目に見えない問題に直面した時に人を頼れず疑心暗鬼になった結果、仕事を長期的に休む経験をしている。
主観のみ、自己完結とは本当に愚かなのだ。
自分の視点だけというのは、余りにも情報不足なのだ。
それがどこかに属している身なら尚更である。
独学という言葉を最近まで誤解していたが、あれも結局は人に頼ることはほぼ確実にやっている。
人の動画を見て学び、時にそこでわからないことはまた別の人が発する情報に飛びつく。
独学は開拓ではない。そこを間違えてはならない。(開拓が人手がいらないような言い方で語弊があるが、僕の語彙力には限界がある。伝わってくれ。)
とにかく話を戻して結論を言うと、見えないなら角度を変えれば良いし、それが困難なら頼ればいいのだ。
原因は人それぞれ違うが、この結論は揺るがない筈だ。
目の前に見えるデカい壁はハリボテかもしれない。
まずは見方を変え、難しかったら人に頼ろう。
いいか、頼ろう。
頼らなかった時にかける迷惑の方がずっと大きい。
当たり前だけど(故)難しい、大切なことを忘れてはならない。
ずっと燻っている自分への言い聞かせの走り書きにつき、読みにくい物になったかもしれないが、ここまで目を通してくれた方がいたら、感謝を伝えます。
ありがとう。