正解ではなく本質
この世で最も重要なのは、正解ではなく本質だ。
人間は、対して興味もない相手が"本当にやることをやっているか"どうかなんてことは、実際どうでもいいと思っている。(だって興味ないんだから。)
その相手が"やることをやっているように見える"なら、ただそれで満足なのだ。
世の中には、自分にとってどうでもいい人はどうでもよくない人より遥かに多い。
だから大概、"やる"のではなく"見せる"でいい。
これが正解ではなく本質という考え方。
そして、これをとっくの昔に理解しておきながら正解を選んでしまう僕が一番の馬鹿なのであった。
あーあ、もっとちゃんと上手く生きてるように見せて生きたい。
呼吸できる自信を持てないという無駄。
呼吸のような"当たり前(にやること)"を疑った時、途端に自信を無くすことがある。
今自分が取り組んでいることに、自信が持てなくなる。
例え、そこに後ろめたさなど無くても。
好きなことを堂々と好きと言えない。
自信が持てない。
そういった、解のないことを考え過ぎる瞬間を僕は消し去りたい。
世の中には、自分にとって本当に必要ではないけれど魅力的なもの/大して価値のないもので溢れてる。
そう言う物を捨ててしまい、必要だけにしたい。
無駄というとあらゆる可能性まで否定するようで好きではないが、無駄の多過ぎる人生をやめる為にぼーっとする時間を作って過ごして生きたい。
ーいらない何も 捨ててしまおう。
どこかのロックな方の叫びを聴いて、ふと思う今日この頃。
「ハリボテかもしれない壁」に勝手に絶望しないで生きたい。
問題の大小に関わらず、主観、自己完結による勝手な絶望、諦めをする人が身の回りに多くいる。
というか、僕がその1人だから困る。
簡単で小さな問題を例にする。
ラーメンとご飯を一緒に食べたくなったA君は、ラーメン屋に行く。
そこのメニューには、ラーメンとは別に丼ものの提供もあると記載がある。
この時点で、A君は丼もの=量が多いという自分の中の法則を勝手に当てはめて、本当はセットのようにラーメンと一緒に頼みたい丼ものを諦めてしまう。
しかし、そもそも丼ものの大きさがわからない時点で、ラーメンと一緒にご飯を食べたい気持ちを諦めるのは早過ぎるだろう。
こういった時、店員に丼ものの大きさを尋ねない人間は案外多い。
とは言っても、この程度の問題(問題として扱うには小さいが)なら、「そこまでして食べたい訳ではない」などの"面倒だからやらない"という趣旨の発言をされたら、それは本人の自由なのでそれまでだが、これが大きな問題となったら話は変わるだろう。
しかし実情として、"面倒だからやらない"という、願望より面倒を避けることを優先する行為が癖になっている人間に、問題の大小は関係ないケースが多いと感じる。
これってマズくないか?
事実、僕は基本ラーメンと丼もののセットは譲りたくないから店員に聞くタイプ(もちろんその時の気分にもよるが)だが、それでも人に相談をするのが苦手(面倒な部分もある)なせいで、目に見えない問題に直面した時に人を頼れず疑心暗鬼になった結果、仕事を長期的に休む経験をしている。
主観のみ、自己完結とは本当に愚かなのだ。
自分の視点だけというのは、余りにも情報不足なのだ。
それがどこかに属している身なら尚更である。
独学という言葉を最近まで誤解していたが、あれも結局は人に頼ることはほぼ確実にやっている。
人の動画を見て学び、時にそこでわからないことはまた別の人が発する情報に飛びつく。
独学は開拓ではない。そこを間違えてはならない。(開拓が人手がいらないような言い方で語弊があるが、僕の語彙力には限界がある。伝わってくれ。)
とにかく話を戻して結論を言うと、見えないなら角度を変えれば良いし、それが困難なら頼ればいいのだ。
原因は人それぞれ違うが、この結論は揺るがない筈だ。
目の前に見えるデカい壁はハリボテかもしれない。
まずは見方を変え、難しかったら人に頼ろう。
いいか、頼ろう。
頼らなかった時にかける迷惑の方がずっと大きい。
当たり前だけど(故)難しい、大切なことを忘れてはならない。
ずっと燻っている自分への言い聞かせの走り書きにつき、読みにくい物になったかもしれないが、ここまで目を通してくれた方がいたら、感謝を伝えます。
ありがとう。
堕落、憂鬱。
暫く訪れていなかった掃き溜めに、ふと顔を出したくなった。
大体、僕が此処に来る時は気分が悪い時。
今だって、全部嫌になったからここに来て。
だから、読んで気分の良い物は残らない。
吐いて少しでも楽になればって思うけど、そんな対症療法は僕を救ってくれない。
ならば、此処へ来る理由は何なのか。
何もわからない。
大変なこと、面倒なことをしてまで生きる理由。
そうして、段々と全部面倒になる。
自分を追い込んでしまう。
そうなるとわかっていても。
人が死ぬ理由は簡単だ。
何かに負けるから。
命の期限、病、悪意、悲壮。
対極。
わからない。
僕は勝ち方がわからない。
必ず折れてしまう。
自分の選択や力で、何かを成し遂げたことがあっただろうか。
小学校を卒業した。通った中学に行けたのは先生のお陰だ。
水泳を辞めた。
中学校を卒業した。高校へ行けたのは偶々良かった模試と制度のお陰だ。
テニスを辞めた。
勉強を辞めた。
高校を卒業した。赤点の救済は人の手を借りることがあった。
バイトを辞めた。
大学を辞めた。
やりたいことへの挑戦を辞めた。
仕事を辞めた。
人と関わるのを辞めた。
僕の能力が活かされ世に出回ることはない。
1人じゃ何も出来ない人間であり、それに助力してくれる人間がいる環境にもない。
僕はきっと最後に、病と悪意と悲壮に負けるのだ。
「生きている」は止まる。
「生きている」は忘れ去られる。
「生きている」は誰も知らない。
タイトルを入力して下さい。
元からこのブログは活発ではないが、"文字を綴るだけ"には飽きていた。
そもそも、読み書きをあまりして来なかった人間である自分には、書くだけというのがつまらないのは当然だった。
だから、次回予告的発言をしても僕がそれを守ることはなかった。
ワクワクしなかった。
けれど最近、そういう掃き溜めみたいな場所こそ価値があると感じた。
だから、久しぶりに内容の無い話をつらつらと書こうと思う。
できるだけ、掃き溜めの価値にも触れたいが、冗長になると思う。
うまく着地出来るかもわからない。
それでも、忘れないうちにごちゃごちゃと。
一
このところ、社会で起こる様々な『よくないこと』や、今置かれている自分の状況(バイトに近いことを週四回しているだけ)に疲れてしまっていた。
不安と焦りによる疲労。
仕事を一月以上休み、病院にも通い始めた。
検査の結果はまだ一ヶ月は先のようだ。
その間、辛いので家にずっといたかと言えば、決してそうではない。
一
僕にはやりたいこと、そしてやりたくないことがはっきりとある。
具体的ではないが。
人との関わりを避けてきた僕には、やはり人間関係というのは大変なものだと、働き出したこの十ヶ月(内一月以上は休んでいるが)で感じた。
ここでの大変とは、難しいというよりは疲れるが正しい。
特に頭の回らない午前中は、誰にも触れられたくない。
それは返しが出来ないので、話しかけられるのが辛いから。
人とのやりとりとは、気を使うことが多過ぎて本当にエネルギーが必要だ…。
そんな僕にとって、午前の作業をほぼ一人きりでできる今の職場は大きな救いだった。
だった。
僕が休む一週間程前、上司から業務場所の変更と週五勤務の相談があった。
仕事に慣れてきただろうから、近々場所を変えて頑張ってほしい、とのことだった。
履歴書に『慣れてきたら週五日で働きたい』と書いたのは自分だし、職場に認められた瞬間であるこの状況は普通喜ぶところだと思う。
人に認められた。
給料だって増えるのだ。
しかし、これを喜ぶ僕はそこにはいなかった。
てっきり僕はずっと、『自分は人に認められたい人間なのだ』とばかり思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。
僕は、"生きていけるようになりたい"のだ。
そして、その"生きていけるようになる"に、『人に認められること』と『給料が増えること』は含まれないということになる。
ここでやっとやりたいことが出てくる。
僕は、休んだりサボったり怠けたりせず、普通に仕事が出来るようになれれば、それでいい。(僕の休みやサボりや怠けとは、頻度と質を踏まえると、決して誰にでもある普通の仕方ないことの範疇ではない。)
そして、今それを出来そうな環境かと問われて「yes」がすぐに出てこないのだ。
もっとわかりやすく言えば、心穏やかに生きていたいが、今はそれが出来ていないのだ。
それが出来ないのは、とても息がつまり、生きる意味さえも不透明にさせる。
生きる為に働くは、僕には仕方なく生きているへと変換される。
働く為に生きるは、仕事に満足しているごく僅かな人か、心まで奴隷になってしまった社畜の言葉だ。
つまらないには耐えられない。
向上心無いままに生きるのは虚しいだけだ。
だけど現実。
僕の体はなかなかいうことを聞かない。
だれる。
サボる。
休みの日に自分で決めた、自分がやりたいはずのこともロクに手がつかない。
僕はわがままなだけなのだろうか。
やる気のある僕は生きたいと言う。
向上心を持って。
色んなことに関心を持って。
出来るなら週五で働きたいし、もっと色んな体験をしたいから上司の相談も断らない。
やってみよう!と快諾。
やる気のない僕は逃げたいと言う。
体力がついていかない。
心が疲弊してしまう。
自分の実力以上の受け合い、過信を卑下し、グジグジウダウダ。
一
結局、自分が何かわからなくなるけど、同時にどうしようもなく人間なんだっていつも思う。
動いて、疲れて、傷ついて、立ち止まって、悩んで。
で、また動ければそれでいい。
焦るなよ、負けるなよって。
だって、まだ未完なんだから。
人である以上、嫌なこととか、いらないものとか吐き出さなきゃいけない。
捨てなきゃいけない。
やってけない。
僕は、ここに糞するみたいに糞みたいな文を書いて心を落ち着かせる。
そうやって掃き溜めを作るのは、決して悪いことじゃない。
誰かが見てくれた時に、後で自分で見返した時に、その土地(心)の肥やしにでもなれば、それでいいのかなと。
糞には糞の価値がある。
その糞を糧に、また動こうと思う。
やりたいことをしようと思う。
今朝、靴裏に糞がついていて不快になったんだけど、僕のこの糞を読んで同じように不快になったら、謝りたい。
紙で拭き取れるかはわからないけど、忘れるなり人にぶちまけるなり、なんでもして快便になってくれ。
じゃあまた。
Wii Fit初心者を卒業しました。【9日目】
生存&近況報告。
コロナ疑いだったりで日が空いてますが、そんなに酷くもないので最近は自宅でWii Fitしてます()
そしてトータル10時間を超えたことで銅の豚ちゃんに進化!!
こりゃやる気継続するわw
という訳で、あるのかどうかもわかりませんが金の豚目指して頑張ります💪
簡単ではありますがこの辺でノシ
家族の前でヨガをしました。Wii Fit【4日目】
どうも皆さま、女子力です。
かわいい飲み物を見つけて買う男は、僕くらいなのでしょうか。
話題を変えます。
現在、我が家で出勤しているのは僕だけ。
そこで、家族の運動不足解消にも良いだろうと思い、Wii Fitを提案したところやってみて!と言われてしまいました…。
それまで自室でやっていた僕からすれば、リビングで出来るのは広々で嬉しい反面、なかなか恥ずかしかったですw
ということもあって今日は写真を撮り損ねたのですが、ヨガをメインでやっているためか、左右の重心が安定してきました。
健康に近づいているかも。
写真がない代わりに、今朝職場で知らないおばちゃんに声をかけられた時の話を少しだけ。
おばちゃん「あなた、〇〇銀行でも働いてる?」
僕「?いえ、ここだけです。」(〇〇銀行ってどこ?)
お「あら、あなたにそっくりな子がいるのよ!」
僕「そうなんですね!何も知らないけど、彼にも宜しくお伝え下さい。」
お「w あなたの方が良い男よw」
いや、何でいきなり初対面のおばちゃんに、へらへらしながら口説かれなきゃいかんねん(´・ω・`)