いざは今日を生きている

考え、考えすぎないことを大切に生きる、ADHD元ニートの視点。ありのままの黒歴史を積み重ねていますが、いつかそれ以外も積み重ねられるように。

堕落、憂鬱。

暫く訪れていなかった掃き溜めに、ふと顔を出したくなった。

 

大体、僕が此処に来る時は気分が悪い時。

今だって、全部嫌になったからここに来て。

だから、読んで気分の良い物は残らない。

 

吐いて少しでも楽になればって思うけど、そんな対症療法は僕を救ってくれない。

ならば、此処へ来る理由は何なのか。

 

何もわからない。

大変なこと、面倒なことをしてまで生きる理由。

そうして、段々と全部面倒になる。

自分を追い込んでしまう。

そうなるとわかっていても。

 

人が死ぬ理由は簡単だ。

何かに負けるから。

命の期限、病、悪意、悲壮。

 

対極。

 

わからない。

僕は勝ち方がわからない。

必ず折れてしまう。

自分の選択や力で、何かを成し遂げたことがあっただろうか。

 

小学校を卒業した。通った中学に行けたのは先生のお陰だ。

水泳を辞めた。

中学校を卒業した。高校へ行けたのは偶々良かった模試と制度のお陰だ。

テニスを辞めた。

勉強を辞めた。

高校を卒業した。赤点の救済は人の手を借りることがあった。

バイトを辞めた。

大学を辞めた。

やりたいことへの挑戦を辞めた。

仕事を辞めた。

人と関わるのを辞めた。

 

僕の能力が活かされ世に出回ることはない。

1人じゃ何も出来ない人間であり、それに助力してくれる人間がいる環境にもない。

 

僕はきっと最後に、病と悪意と悲壮に負けるのだ。

 

「生きている」は止まる。

「生きている」は忘れ去られる。

「生きている」は誰も知らない。